この人は何者?誰?

みなさん、はじめまして。
Liberal Life Educationを運営しているテディといいます。
このサイトへ訪問していただき、
誠にありがとうございます。

 

テディとはどういった人物なのか?

過去の経歴や現在の職業の他

大手企業でパワハラを受けた話

ベンチャー企業の中間管理職で
板挟みになった話

妻が産後鬱になって子供を置いてきた話

ネットビジネスに足を踏み入れるきっかけとなった話

 

 

こういった話を赤裸々にご紹介していきます。

 

 

自己紹介

 

アウトドアブランドMAMMUT大好きな
メンタルマンモス級のテディと言います。

 

2016年フィンランド旅行で
オーロラを見たことを機に、
会社と家の往復をするだけの
ライフスタイルを変えることを決意。

大手企業退職後、
海外留学2か国を経て
ベンチャー企業が経営するホテルに支配人、
その後本社の運営マネージャーとして勤務。

 

2020年からWEBビジネスとして
ブログ副業をスタートし、
移住転職をサポートする団体に転職。

 

2022年から
WEBビジネスのスキルを活かして、
情報発信ビジネスを開始。

 

ブログ副業で得た
WEBビジネスのスキルを活かして
法人から下記案件を受注しています。

・求人広告コンサル
・宿泊施設コンサル
・職業訓練校講師

 

現在は独立起業に向けて
フリーランスのチームを組んで

・WEBマーケティング
・ECサイト立ち上げ
・SNS運用代行

こういったビジネス展開を行っています。

 

 

子育てや個人ビジネスも両立させるため、
本業は週4日の時短勤務残業や休日出勤はゼロ

 

会社で過ごす時間を減らして、
子供と過ごす時間は1日5〜6時間

 

土日問わず月に1度は
家族でふらっと国内旅行へ出かけて、
ストレスのない生活を送っています。

 

日帰りで行ける距離ではないのですが、
子供が大好きなUSJへ遊びに行くことが多いです。

 

土日は混雑がひどくホテルも高いので、
平日に2泊3日で行っています。

 

娘はスーパーニンテンドーワールドがお気に入りで、
毎回ピーチ姫と写真を撮っています。

 

子どもと過ごす時間が1日5~6時間あるからなのか、
すっかり子供がパパっ子になってしまいました笑

自宅の書斎でPC作業するときは、
よく膝の上に子供を乗せながら
仕事をしていることが多いです笑

 

 

現在は家族中心のライフスタイルを送っていますが、
WEBビジネスを始めるまでは、
決してそういうわけではありませんでした。

 

 

副業ストーリーをもっと知りたい

 

 

大企業でメンタルやられた話

就職氷河期と言われた世代ですが、
私が通っていた高専の求人倍率は8倍。
特に苦労することなく大手企業に就職できました。

 

新人時代は
「将来は課長や部長になるぞ!」
といったような、
典型的で漠然とした夢を抱いていました。
比較的若い世代が多い部署だったので、
年功序列のような感じはなく、
成績次第で昇進できる環境でした。

 

入社当時は、人当たりもよく
やさしい課長の元で働いていましたが、
そのうち課長は平社員として
一緒な立場で働くことになりました。
どうやら、自分の意志で
課長職を下りたという噂。

 

「なんで給料がいい課長を辞めるんだろう?」

 

入社当時の新人だった私は
不思議に思っていましたが、
その課長は
ストレス精神的にも
肉体的にも病んだ
ことを知りました。
その10年後には自分も中間管理職の辛さを
経験することになるとは・・・

 

 

怒鳴る無視するパワハラのA先輩

上司にはペコペコするのに、
後輩に対しては態度が悪くなり、
忙しくて機嫌が悪くなると
周囲に当たり散らすA先輩の話。

同じチームで働いていたときは、
自分の仕事が手いっぱいになると、
途端に機嫌が悪くなり、

「おまえ、これやっとけ」

と、私のスケジュールを
無視して仕事を振ってきます。
自分がどうしても他の仕事で
スケジュールが空けられず、返答に困っていると

 

 

怒り

「は? おまえ、俺の仕事が嫌なの?」

「おまえにはもう仕事頼まないわ!」

 

と、資料をむりやり資料を
鷲掴みにして席に戻っていきました。
そして、それから数日間は無視され続けます。

 

またあるときは、仕事中にストレスが溜ったのか、
私の前で壁を殴って、
穴を空けたこともありました。
他の先輩や上司にA先輩の態度について相談しても

「気にするな」

「おまえにも悪いとこあったんだろ?」

と、まともに取り合ってくれません。

 

当時、新人だった自分にとって、
無視されつづけるのは耐え切れず、
会社に行きたくないという思いが強くなり、
日曜日の夕方は憂鬱で仕方なく、
月曜の朝なんて最悪な状態。
会社に出勤で来たとしても、
トイレで吐くこともしばしばありました。
おかげで体重が5kg減りました。

 

 

最優秀社員賞を横取りしたB課長

若い年齢で異例のスピード出世をしたB課長。

売上成績も常にトップで、
部長からは可愛がられていました。
B課長は非常に細かい性格で有名で、
社内には注意書きの張り紙だらけになりました。

少しでもルールが守られていないと、
朝礼で犯人捜しをします。

また、少しでも嫌なことがあれば
すぐに口に出すタイプで、
気にいらない言動が行動をすると、
すぐに呼び出しをくらいます。

とはいえ、B課長は面倒見もよかったので、
仕事が貯まって手が回らなくなると、
すぐに手伝ってくれました。

 

そんなあるとき、
自分の担当のお客さんの
大型案件が舞い込みました。
しかし、B課長は

 

「その仕事、単価が安い割には
とても複雑な仕事だから、
俺が引き受けてあげるよ」

 

と言って、大型案件を巻き取ってくれました。

 

当時は

 

「手伝ってくれたんだ。助かった」

 

と思いました。
が、実はその話には裏がありました。

 

B課長が案件の見積もりを担当していましたが、
実際の作業は私が行うことになりました。
それも休日出勤
朝から晩まで昼休憩も取れず、
ヘトヘトになっていたことを今でも思い出します。

 

その年度末、各社員の営業成績が公表されます。

なんと、私が担当するはずだった大型案件が、
全てB長の成績として計上されていました。

 

それも、当初B課長から聞いていた金額の
10倍近い売上が計上されています。
その結果、そのC課長が年度の
最優秀社員として表彰されることになりました。

 

どういうこと・・・・?

 

聞いていた話と全く違い、混乱の極みです笑

そこで気付きました。

 

騙された

 

そうなんです。
案件の話が舞い込んできたときに、
これは大きな利益になると判断したB課長が、
自分の手柄にするため私の仕事を
横取り
したんです。

 

後から他部門の上長から聞いた話ですが、
もしその大型案件を通常通り私が担当していれば、
私が最優秀社員として表彰されていて、
昇進を予定されていた、と。
そこで気付きました。

 

 

この会社はこうやって汚いやり方で
成績を残したものが勝ちなんだ

 

 

毎日「辞めたい」と愚痴ってくるC後輩

そんなゲスの極みのB課長の元を離れ、
本社へ異動することになりました。

そこで出会った女性のC後輩。
同じ学校の卒業生でもあったので、
上長からC後輩の教育係に指名されました。

 

外回りの仕事だったので、帰社するとすぐに

「会社辞めたい」

「上司なんて○ねばいいのに」

「○○と○○が社内不倫している」

「みんな私をいじめている」

 

と愚痴ってくる毎日。

 

当初は親身になって聞いてあげていましたが、
さすがに毎日会社の愚痴ばかり聞かされると、
私もだんだん嫌になっていきます。

 

メンタル的に不安定だったC後輩。
頻繁に会社を休むことがあり、
そのときはC後輩の仕事は全部私が請け負うことに。
上司からは

「教育できてないぞ」

「おまえの責任だ」

と追及されます。

 

こんな不平不満ばかりいう人間や、
汚いやり方で昇進しようとする人ばかり。

呆れる

こんな人間と一緒に
定年まで働くなんて
考えただけで恐ろしい

 

と思うようになりました。

 

毎週日曜日の夕方が憂鬱で仕方なく、
なんとかこの人生を変えたいけど、
変える方法がわからない。
そんな悶々とした日々を過ごしていました。

 

 

鬱になった話

多忙な日々を繰り返していた頃、
父親がガンになって
入院することになりました。
私は一人っ子なので兄弟はいません。
父と母は私が小さい頃に離婚し、
私は母との2人暮らしでした。
私は離婚後も父親と交流があったので、
父の面倒を見るのは私だけの状態した。

 

父がガンになった当時、
仕事がめちゃくちゃ忙しい時期で残業は当たり前。
でも、なんとか残業を切り上げて父の病院へ通い、
洗濯ものの回収や面倒を見にいく生活をしていました。
自分の遊ぶ時間はほとんどなく、
会社・病院・自宅をぐるぐると回る毎日でした。

 

そんなある日。
仕事で顧客先でパソコンの設定作業を
しているときに、それは起こりました。
突然、パソコンのキーボードを打つ手が
止まって動かなくなりました。

 

「・・・あれ?手が動かない」

 

頭の中ではキーボードを打ちたくても、
手が動いてくれません。
そのうち頭の中もぼーっとしていきました。

 

「おかしいなぁ・・・」

 

初めての感覚でした。
そんなフリーズしている様子を見た
一緒に作業していた社員が心配して、
作業を代わってくれました。

 

何かがおかしい

 

そう思って、すぐに会社に戻ります。
会社に戻ると仲の良かった上司がいました。

 

「どうした?」

 

と聞かれたので

 

「いや、実は・・・」

 

と、事の経緯を話しだそうとした瞬間、
自分の意志に反して
涙が溢れ出てきました
仕事や父の介護で、
精神的に限界だったんだと思います。

 

それから会社を2週間ほど休んで、
心療内科にも通いました。
診断の結果は

 

 

鬱状態

 

 

うつ病になる一歩手前だと言われ、
軽い抗うつ薬をもらいまいた。
抗うつ薬の影響なのか、
急に落ち込んだあとは急に楽しくなったり、
感情がぐちゃぐちゃになることがありました。
父の見舞いにも行けず、
ずっと家にひきこもることもありました。

 

そんなときに

「俺ってなんて不幸な人間なんだ。
なぜこんな辛いことが重なるんだ」

と、激しく落ち込みました。
しかし、あるとき、
ふと違う考えが芽生えます。

 

 

「今は確かに辛い。
でも受け入れるしかない。
でも、今の状況を脱出すれば、
必ず楽しい日々が待っている」

 

 

そう思えるようになりました。
その後、父はガンで亡くなりましたが、
父の死で自分の考えが大きく変わったことがあります。
それは

 

人間いつかは終わる。
いつ人生が終わるかはわからない。
ネガティブなことに
囚われていたら何もできない。
やりたいことをやって
後悔しない人生を送ろう

 

父の死と自分の鬱状態の経験が、
ネガティブ思考からポジティブ思考に変化する、
大きなターニングポイントの
ひとつだったと思います。

 

 

オーロラを見て人生観が変わった話

2016年の夏、妻が急に

「オーロラを見たい!」

と言い始めました。
オーロラを見るためには冬に海外へ行くわけですが、
当時勤務していた大手企業は冬が一年で最も忙しく、
鬱状態になったときのような病欠でない限り、
長期休みなんて取れそうにありません。

そのため夏頃から
「2月に長期休暇とります!」と会社に宣言。
上司から文句を言われながらも、
1週間の休みをとることが出来たので、
念願かなって
4泊5日のフィンランド旅行へ行きました。

 

成田空港

 

オーロラを見るために、
北極圏に位置する人口350人の
小さな村に滞在しました。
村の中心にある観光案内所に
行ったときの出来事です。

そこには自分が普段日本で触っている
自社製品が置いてありました。

 

「さすがうちの会社は
グローバル企業だけあって
世界に自社製品がある。
そんな会社にいる俺ってすごいかも」

 

なんて、自己満足を感じながら、
観光案内所を後にします。

しかし、ある思いがふと湧いてきました

 

「会社はグローバル。
でも自分は
グローバル企業の、
日本法人の、
いち地方の、
いちエリア担当・・・・
単なるひとつの小さな歯車に過ぎない」

 

なんだか自分がちっぽけな存在に感じました。

その夜、オーロラを見ることができました。
こちらがオーロラを見たときの写真です。

オーロラ

 

気温はたしかマイナス10℃程度ですが風がなく、
意外と寒さを感じませんでした。
ゆらゆらと揺れるオーロラは
今でも忘れません
一緒に行った妻もすごく感動していました。

 

自分の勝手なイメージですが、

「オーロラを見れるのは
一生のうち一度あるかないか」

という超絶レア体験かと思っていましたが、
アッサリみることができました笑

フィンランドでは、
今まで自分が見たことない景色を見たり、
したことのない経験を数多くしました。

例えばこの写真。

フィンランド

スキー場の頂上から撮影した画像ですが、
見渡す限り針葉樹林の森が拡がります。
空の色も日本で見たことない色でした。

 

「世界には自分の知らない
素晴らしい景色がたくさんある」

 

海外旅行となると、費用も掛かるのは当然ですが、
会社員として会社に属している以上、
長期の休みを上司に申請しないといけません。
しかし、有給休暇が存在していたとしても、
なかなか長期の休みなんて取れません。

休みを取るには上司を顔色を伺ったり、
同僚や部下とスケジュール調整したり、
神経をすり減らす必要があります・・・

 

これって
俺の人生
だよな?

 

なんのために
働いているんだっけ?

 

 

そんな思いから起業・独立したい
という思いがさらに強くなりました。
ちょうど、当時の日本では
インバウンドブーム
訪日外国人観光客の数がうなぎ登りでした。

 

外国人相手に日本で素晴らしい
経験をするお手伝いがしたい

フリーのガイドをしたい

 

そう思い、
帰りの飛行機の中で退職を決意

妻に相談したところ

「いいんじゃない?」

と言ってもらえたので、
帰国後すぐに語学留学に行くことを決めます。

 

そして、エイプリルフールと言われても仕方のない、
2016年4月1日、上司に辞表を突きつけました。

取引先からは

「なんで10年以上勤めた会社を辞めるの?
勿体ないんじゃない?」

とよく言われました。
毎朝出勤して、同僚は他の同僚の悪口をいい、
他部署からは無理難題を押しつけられ、
嫌いな上司の顔色をうかがい、
やる気のない部下の能力を
どうやってあげようか悩む日々。

 

こんな典型的なサラリーマンの日々を
定年まで繰り返すなんて、
想像するだけでもぞっとしました。

 

自分らしく生きる方法は
他にあるんじゃないか?

 

やりたいと思ったことをやらずに過ごすより、
やってみてダメだったら軌道修正すればいい。

 

 

自分の人生は自分で決める

 

 

そう思えるようになりました。

 

 

ニュージーランド留学で面食らった話

外国人に日本で素晴らしい経験を
するお手伝いがしたい

しかし、英語が話せたわけではありません。
異文化経験、そして英語の勉強のために、
妻を日本に残し、
ニュージーランドと
フィリピンへ語学留学しました。

 

ニュージーランドではオークランドに滞在し、
コロンビアからの移民である
ホストファミリーの家に3ヶ月間滞在しました。

 

オークランド

 

衝撃だったのが毎週金曜日は夕方3時くらいから
会社員の人たちがバーで飲み始めます。
日本ではまだまだ仕事をしている時間帯ですよね笑

よくそんなことができるなぁ~
うらやましいなぁ~

と思ってみていました。

 

ホストファミリーは、休日には必ずと言っていいほど、
友人を自宅に招いてパーティーをしています。
また、ほぼ毎年海外旅行へ出かけていました。

なんでそんなに遊ぶ余裕があるのか?

ホストファミリーに質問しました。
すると、逆に相手から質問されました。

 

「私たちは家族と過ごす時間を大切にしている。
仕事のために生きているんじゃない。
お金は楽しむために使うものだろ?
日本人はなぜ過労死するほど仕事するんだ?
日本人は何のために生きているんだ?」

 

何も言い返せませんでした。
人生や家族、仕事に対する考え方が違うんですよね。

 

 

フィリピン留学で1日8時間マンツーマンレッスンを受けた話

ニュージーランドから帰国後、
いまいちスピーキングが苦手だったため、
次はフィリピンに留学して、
英語のマンツーマンレッスン
受けることにしました。

 

フィリピン航空

2週間の滞在中、
1日10時間マンツーマンレッスンを受けました。
もう朝から晩まで英語漬けです。

おかげで英語がペラペラになりました

 

 

 

夢の中だけ 笑

朝起きて、夢の中ほど喋れない自分に愕然としました笑

しかし、マンツーマンレッスンで
英語漬けの日々に身を置くことで、
ニュージーランド留学とは比べ物にならない早さで
スピーキング能力があがりました。

 

卒業証書

 

決して安くないお金を払って留学しているわけなので、
自分も真剣になれましたし、
マンツーマンレッスンだったこともあり、
適宜発音などのフィードバックをもらえました。

もちろん日本でも英語の勉強はできます。
独学で教材を買って勉強したり、
YouTubeを見て生の英語の発音を聞いたりできます。

 

でも

 

自分ではうまくやっているつもりなのに、

他人から見ると、
全然できていない

 

こういうことってよくありますよね。
教材を見たり読んだりするだけでは上達しません。

インプットする以上にアウトプットが大切ですし、
先生のような
プロからの指導やフィードバック
というのは、
上達における最短ルート
なんだと感じました。

 

 

 

ベンチャー企業のホテルマネジャーをした話

2か国留学のあと、英語を活かして、
ベンチャー企業が経営している
外国人ターゲットのホテルに就職しました。
その企業ではなんとホテル経験者は1人だけ。
全員素人です。
共通点としては
全員英語が話せる
ということくらいでした。

元々いろんな業界から集まった
ベンチャー企業ということもあって、
個性が強い人ばかりで苦労しました。

 

 

命令

 

私は支配人という肩書きで
プレイングマネージャーとして勤務していましたが、
バックヤードの事務所は、
2人しか座れない狭い部屋でした。
小さい会社ということもあり、
良くも悪くも社長と一般社員の距離が近いので、
社長は現場を見てあれやこれや指示を出してきます。

 

しかし、経営者のナンバー2とは意見が違い、
指揮系統はめちゃくちゃ

 

ナンバー2が経営層とのパイプ役でしたが、
大事な情報が下りてこず現場が混乱

 

理想は大きく掲げるものの、いざ実行しようとしても、
リソース(ヒト・モノ・カネ)が足りない状況でした。
ベンチャー企業あるあるですけどね。

 

スタッフはスタッフで、文句を言いたい放題。

 

  • 給料が安い!
  • ボーナスが出ない!
  • 事務所が狭い!
  • 人が足りない!

 

みんなの給料をあげるため、
現場の意見を通しやすくするため、
売上を作るために頑張っているのに、
現場からは文句を言われる日々。

見えないところで文句を言われるのは仕方ありませんが、
そのうち目の前で明らかに悪口とわかることを
言われるようになりました。

 

 

ホテルは365日稼働しています。
そのため、自分や休みの日でも、
LINEに業務連絡や問い合わせが
容赦なく入ってます。

全くもって気が休まりませんでした。

ひどいときは夜勤明けで仮眠しているときでも、
容赦なく電話で起こされた結果、
体調を崩し謎の嘔吐が続くこともありました。

 

あるとき、社長の知り合いが、
経営メンバーとして加わることになりました。
最初はその知り合いはお互い敬語を使い、
お互いを尊重しあっていました。

 

しかし、月日が経つにつれて態度が変わっていきます。
最初はお互いさんづけだったものが呼び捨てになり、
口調もタメ口に変化。
明らかに人を見下す発言が目立ち始めました。

 

さすがに周りのメンバーも

 

指示

この状況はヤバイ

 

 

と思うようになったようですが、
社長の知り合いということもあり、
誰も意見することができませんでした。

 

大手企業時代は人間関係で悩み、
またベンチャー企業でも
人間関係で悩みました。

 

将来的には自分でツアーガイドをしたい
という夢のために頑張っていましたが、
メンタル的にも持たなくなってきて、
いつしか転職を考えるようになります。

 

 

 

妻が産後鬱になった話

私はもともと子どもが好きではありませんでした笑

結婚してからも、妻とは頻繁に旅行に行ったり、
登山したりスキー・スノボをしたりと、
アクティブに動いていました。

 

 

 

なので、子供がいなかったらいなかったで、
いろんなところに旅行も行けるし、
好きなことにお金も使えるから、
むしろ子供がいたら
自由が制限されると思ったかたです。

 

しかし、自分の子供が生まれた瞬間から、
その考えが変わりました。

 

自分も子育てに
積極的にかかわっていきたい

 

そう思っていた矢先、
思わぬ出来事が起きました。

 

妻が産後鬱を発症しました。

 

 

妻の実家は隣町にあり、車で30分程度の距離です。
産婦人科を退院した妻は実家で過ごしていました。

妻の実家には未婚のお姉さんと
両親が住んでいますが、
全員仕事をしているため、
日中は妻は一人で実家にいる生活でした。

 

妻は趣味といえる趣味もなく、
私が誘えば一緒に出掛けるようなスタイルであり、
生活や人間関係の全てが仕事に依存していました。

 

 

出産を機に外界(社会)から切り離され、
自分を見失ってしまったようです。

 

 

仕事を終えて妻の実家へ通う日々が続いていたある日。

 

「子供を捨てたい」

「離婚して子供を育ててほしい」

「養子に出したい」

 

と言い出だした妻。
環境を変えようと、実家から自宅へ戻ってきても、
あまり状況は変わりませんでした。

 

あるとき、妻があまりにも辛そうだったので、

「仲のいい友達の家に遊びに行って来たら?」

と提案したところ、

「子どもと一緒に行ってくる」

と、当時生後6か月の子どもを
連れて友達の家へ向かいました。

そのあと帰ってきた妻。
しかし、その手には
子どもがいませんでした

 

 

・・・え?

 

 

まさか・・・

 

 

 

捨ててきた?

 

 

 

妻に問いただしたところ、
全く答えようとしません。

 

 

1時間近く問いただしたところ、
妻は重い口を開きました。

 

 

友達の家に
子どもを
置いてきた

 

 

妻とスマホを借りて、その友人に電話して、
すぐに迎えに行きました。
妻の友達曰く

「どうしても辛いから一晩面倒を見てほしいと言われた」

と・・・。

妻はどうしても子どもから離れたかったようです。

 

その後も私が仕事が返ってきたあとや、
休みの時には子どもと過ごすことにより、
妻を子育てのストレスから解放
させるようにしました。

 

妻が仕事復帰したあとは、
私が保育園への送り迎えや
家事のほとんどを担ったこともあり、
妻は産後鬱を乗り越えることができました。

 

しかし、この一件で思ったことは、
仕事中心でなければ
もっと家族と過ごせる時間を増やせるのに

ということです。
もちろん生活していくためには
収入を得る必要があります。

 

収入を得る方法があれば会社に縛られる必要はない

 

こういうことに気づくようになりました。

 

ちょうど、勤務していた会社が、
小規模ホテルの新規設立を
請け負うという案件を受注しました。
私がそのコンサル担当として
過去培ってきたノウハウをもとに、
取引先に指導することになりました。

 

ここで思いついたことは

 

このコンサル業務であれば自分も独立できるかも

 

そう思い、コンサル業務を請け負いながら、
独立起業する準備を並行して行っていました。
実際に2軒の小規模宿泊施設の業務改善を
個人事業として請け負うことになり、
実際に報酬も発生していた矢先、
あの出来事が襲い、すべての計画が中断します。

 

 

パンデミックで訪れた転機の話

2020年に訪れた新型コロナウィルスのパンデミック。
私も多大な影響を受けました。
当時、本社の運営マネージャーとして働いてましたが、
当然ホテルは休業
コンサル先のホテルや宿泊施設も計画が中断し、
自宅待機の日々が続きました。

 

 

子供の保育園も休園になりましたが、
妻はフルタイムの医療従事者であるため、
パンデミックでも通常通り仕事をしていました。

 

子供と1対1で過ごす日々が続きました。
そこで気付いたことは、
子供の成長を日々感じられたこと

子供や家族と過ごす時間
を増やしたい

そう思い立って即行動に移しました。

 

まずは、独学で転売やせどりに挑戦したりしました。
転売は安く仕入れて高く売るだけなので、
間違いなく再現性が高い副業です。

私も利益は出たものの、
仕入れや納品などの手間がかかるため、
子育てとの両立が難しかったり、
値崩れや在庫リスクを抱えたため、

このビジネスは自分には合っていない

そこで、他のビジネスにも挑戦することにしました。

 

 

 

そんなときFacebookで見つけた
PC1台でネットビジネス起業」
という広告。

 

 

これだ!

思い立ってすぐにメルマガ登録し、
カリキュラムをこなしたり、
コンサルサポートを受けながら
トレンドアフィリエイトを始めました。
学生時代に「ホームページビルダー」
(←知ってます?笑)
を使って、
趣味のサイトを立ち上げた経験はあるものの、
当時の趣味サイトのアクセス数なんて1日に数十件。

 

  • どうやってブログで稼ぐの?
  • 独立なんてできるの?
  • 月10万稼ぐなんて意味不明

 

 

全く未知の領域でした。

トレンドブログ開始月の収益は41円!
チロルチョコ2個分です笑
いや、消費税入れたら1個しか変えませんね・・・

 

ひとりで黙々と教材を見ながら
記事更新を続けていきましたが、
なかなか成果が上がりません。
そこで、メンターの方に初めて
通話コンサルを依頼しました。
自分が正しいと思ってやり続けていましたが、
やはりプロの方から見ると抜けている部分や
足りない部分がありました。
おかげで通話コンサルを受けた月は、
初めて月収3,000円突破。
41円から見れば80倍の成長です笑

その後も定期的に
通話コンサルやチャットを通じて、
自分の記事を添削してもらい軌道修正。
なかなか思った利益が出せず
悩んでいた時期もありました。

 

しかし、メンターの方と定期的に
話すことでメンタルを維持できました。
さすがに一人だけの力では、
月収10万円
を超えることはできなかったと思います。

 

副業で月収10万円を稼いでみたい

 

人間関係に縛られない働き方

会社員だと何かと人間関係に苦しめられますよね。
私もホテル時代は支配人&マネージャーとして、
経営側と従業員の板挟みの
中間管理職だったので、
痛いほどわかります。

部下は好き勝手言いたい放題。
上司は無理難題を押しつけてくる。
たまに社長が来て、
あれやこれや経費について首を突っ込む・・・
もう逃げ場が全くありませんでした。

残念ながら会社という組織で働いている以上、
まわりの人間を選ぶことはほぼできません。
嫌な人でも、我慢して付き合う必要があります。

 

しかし、個人事業主として独立すれば、
そういった煩わしい
人間関係ともサヨナラできます。
付き合う人間や仕事は
自分で選べばいいのです。
さらに、トレンドアフィリエイトの副業は、
リアルな人と対面でやりとりするわけではありません。

会社員として副業をしている場合だと、
収入源が他にあることにより、
精神的にも余裕ができて、
会社に依存する必要がなくなります

 

私は現在、副業でトレンドアフィリエイトを行っていて、
週4の短時間勤務というころもあり、
会社にいる時間が少なくなりました。

とはいえ、会社でもたまにストレスがかかることもありますが、

「ネットビジネスで頑張って、早く独立しよう!」

といったエネルギーに転換できます。
そうやって会社の不満を
副業のモチベーションにもしています。

 

 

移住転職の話

コロナ禍を機に、
都会から地方へ
移住する
という流れが増えています。

地方であれば待機児童問題もなく、
満員電車に揺られて長時間通勤する必要もなく、
いつでも海や山に出かけて、
子供と一緒に自然と触れ合うことができますよね。

 

しかし、30代半ばを過ぎて
違う業種へ転職するというのは、
ハードルがあがるのは事実です。

もちろん

「未経験歓迎!」

「30代・40代歓迎!」

とアピールする求人は存在します。

しかし、実際は
業界経験者20代ばかり採用するケースや、
実は離職者が多いために
慢性的な人出不足である企業だったり、
何かしら裏があるケースもあります。

 

また、都会から地方へ移住・転職するにあたって、
同じ業界・職種であれば
ほぼ確実に年収は下がります

 

会社員の給与収入以外の収入を得ることが出来れば、
住む場所の選択肢は無限に増えます。
トレンドブログはPC1台あれば
いつでもどこでも記事を書くことができるので、
通勤という概念がありません。
地方移住二拠点生活の他、
海外移住も不可能ではありません。

 

 

私はまずは長野県白馬村
生活拠点を持つことを目標にしています。
普段は地元で、そして気が向いたときに
白馬村へ通うようなイメージです。

理由は登山やスキーができ、山々が美しいことや、
外国人(特にオーストラリア人)が多数住んでいることです。
日本にいながらにたくさんの外国人と交流ができるので、
子供の
英語教育国際感覚
を身に着けるには、うってつけだと思っています。

 

 

 

今年の冬はかなり雪が降ったので、
何度も平日に会社を休んでスキーに出かけました。
日中はスキー、夜はホテルで
トレンドブログを書いたりもしていました。

 

ホテルの部屋でわずか1時間程度で書き上げた記事が、
アクセスがたくさん集まったため、
わずか1時間の作業で
1日約2万円の収益があったこともあります。

 

つまり時給2万円です。
遊びながら稼げるなんて最高じゃないですか?

 

 

子育ての話

週4&時短勤務をしていることもあり、

現在は保育園の送り迎えやイベントは私が全て担当。
保護者会にも入ってイベントの企画立案もしています。
さらに晩御飯を作ったり、家事や子育ての大半を担っています。
やっぱり
大好きな子どもと一緒にいる時間
って楽しいですよね。
特に小さいうちは子どもの成長
ひしひしと感じることができます。

 

週4&時短勤務で時短勤務でよかった!と思うことは
一般の会社員が仕事をしている時間帯に、
子供とおもいっきり遊べることですね。
ひたすらブランコや滑り台の相手をしています笑

 

 

 

そして、夕方6時には家族そろって晩御飯を食べて、
7時には子どもと一緒にお風呂に入るという生活スタイルです。
そして、寝る前の1~2時間ほどは、
自分の部屋でパソコンで作業するというライフスタイルです。

とはいえ、どうしても子どもが寂しがって、
パソコンがある作業部屋に来ることもあります。

そんなときは子どもを膝にのせて、
1つのモニターでYoutubeを見せて、
残り2つのモニターで自分の副業の作業をしています笑

 

なので、

  1. 子どもと過ごす時間
  2. 自分の時間

これを両立することができています。

 

 

近いうちに一般の学校教育ではなく、
オルタナティブ教育を受けさせたいと思っています。

なぜなら、一般的な学校は

「サラリーマン養成所」だからです。

 

個性は認められず、みんな同じ場所で、
同じ身なりで、同じ時間で、
決められたカリキュラムのもとで教育されます。

そんな教育環境ではなく、
個々を大切にして、自分の頭で考え、
どこでも好きな環境で生きられる。

そんな教育を2024年から受けさせたいと思っています。
そのためには自分がまずお手本となり、
会社員を辞めて独立をして、
会社に囚われない働き方
をしたいと考えています。

 

 

ここまで、テディとは
どういった人物なのかをお話してきました。
私も当初は全く何も知らない状態で
ネットビジネスを初めて、
パワハラや嫌がらせを受けた過去を決別して、
現在では精神的にも金銭的にも
安定した生活を送っています。

 

 

自分のライフスタイルを変えたい

会社に縛られる人生を辞めたい

子どもともっと一緒に過ごしたい

 

何をしたらいいのかわからない・・・

 

と悩んでいる方も多いともいます。

 

そんなあなたへ。

 

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始めは小さな一歩ではありますが、
これが未来を大きく変える第一歩です。

 

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